仏性の首斬り役人、山田浅右衛門

時代小説には首斬り・試し斬りの役人として山田浅右衛門の名前がよく出てくる。勘違いされやすいのは、そんな役人は幕府の職制上なかったということである。山田家は初代から浪人の家柄である。それが刀の試し斬り役として諸大名等から頼まれていただけである。もちろんそのためにはその都度幕府に願い状を差し出して許可をもらっていた。いわば役目ではなく、商売としてやっていたにすぎない。  最後の首斬り浅右衛門は八代目(初代を数えるかどうかで九代目とという場合も)で、明治14年7月24日限りで斬首は廃止されている。この浅右衛門は世上の噂と大違いで、晩年は仏教信者となり、諸方のお寺へ「大慈悲」の自筆の額を納めたりして、慈悲善根の人物と称された。この人はもともとは赤穂浪士の討ち入りで名高い堀部安兵衛武庸(たけつね)の剣法を伝える流派の達人で、その縁で山田家に養子に入った(実子でも腕が悪ければ後を継げない)。そのため泉岳寺へは毎月お参りを欠かさなかったそうです。  そして仏性を備えていると言われるゆえんです。この人乞食でもなんでも、むやみに救ってやり、果ては乞食を連れて家へ帰

ってくる。こうなるとご飯をめぐんでやり、女の乞食だと家の女たちの古着などを与えて返してやることになります。しかも、家人に対する小言はほとんどなく、一年に一度でもあれば「めずらしい」と言われるほどだったようです。  極めつけは、この浅右衛門、毎朝スズメとネズミに粉米(こごめ)をやるのを日課としていて、浅右衛門が手を叩くと、スズメは飛んでくるし、ネズミも縁の下から出てきたそうです。特にネズミなんかは浅右衛門の膝の上に登ったり降りたりしていたとのこと。筆者も10年来スズメに残りご飯を与えているが、それでもスズメを手元にまで呼び寄せることはできない。それなのにネズミまでとなると、これはもうまったく仏性を持った人でなければ無理ですよね。  なお、浅右衛門の試し斬りの作法は別の機会にアップします。 参考:篠田鉱造「幕末明治女百話」1971年3月初版角川書店p323 ? ?